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税理士失格の男・九頭(くず)と申します。

税理士と言って皆様が思い浮かぶことは何でしょうか?
・難関の国家資格
・安定した良い給料
・高い社会的な地位。
こんなところでしょうか?

私自身、同年代の人達の平均年収より1.5倍~2倍の高い給料をもらい
誰もが知る有名大学卒の高学歴の方や、自分よりもはるかに年齢が上の社長から「先生」と呼ばれる生活をしてきたので皆様が抱くイメージの税理士生活をしていたかもしれません。
ちなみに税理士になってからはそれなりにモテ期も楽しませていただきました(笑)

そんな税理士事務所での生活を10年間続けてきた九頭ですが、今では税理士としての地位を捨ててネットを通じて税金に関する情報を配信しています。

人からは税務アフィリエイター九頭と呼ばれています

なぜ九頭が税理士としての生活を捨てて今の道を選んだのか?
そのきっかけを紹介します。

数学で8点しか取れない男が税理士を目指した件について

「バカすぎて高校行けないだろ」と言われた中学時代

九頭は小学生の頃から家に帰ってはスーパーファミコンにスイッチを入れてゲームに没頭する日々を送っていました。
そのため、友達と外で遊ぶことも少なく、運動は決して得意な方ではありませんでした。
中学生になっても何の目標もなく、部活も強制だったため仕方なく、当時アニメの影響で人気スポーツだったバスケ部に入りましたが勉強もスポーツも無気力な日々。

しかし、中学生に入って初めての中間テストで現実を思い知らされることに・・・。
塾にも入らず・授業中も無気力・もちろんテスト前も自宅でゲーム。
そんな人間がテストで良い点数なんて取れるわけがありませんよね。

「おい九頭!お前数学の点数何点だった?」
点数が悪いのを知っていて聞いてくる嫌みなクラスメイト。
他にも
「九頭ってバカすぎるから行ける高校ないだろ!」
と言われるなど
九頭の点数の悪さはクラスの笑いのネタの一つだったのです。
中学時代の九頭のスペックは
・得意科目:なし
・苦手科目:ほぼ全部(特に数学・美術)
・身長:低い(中1で145センチ、中2で150センチ、中3で158センチ)
・友達:ごく少数
・女子にモテない(これでモテたら逆に凄いですね!)
といった世の中の男子中学生が持ちたくないものを数多く持ち合わせていました。

忘れもしないのが中学1年生の2学期の期末テスト。
数学で100点満点中8点しか取ることが出来ませんでした。
いつもは点数が悪くても親に報告していた九頭でしたが、このときばかりは流石に言えませんでした。

負けず嫌いだった九頭はここで目が覚め
「このまま勉強が出来ないまま終わってたまるか」
と、勉強に対して火が付くようになります。

中1の3学期から塾に通うようになり、8点しか取れなかった数学も3学期の学年末試験では44点まで上がりました。
この時の出来事は今となってはいいネタで
「36点アップって塾の広告に使えるよな」
といって笑いを取ったりしています(笑)

しかし、塾に入る前に学習している内容の基礎が全くできていないので
塾に通い始めたものの伸びしろはたかが知れており
成績は5段階で3が半分、2が半分程度の中の下くらいの成績で卒業することになりました。

数学嫌いな男がなぜか商業科へ

そして、高校に進学。
「行ける高校ないだろ!」
と言われた九頭でしたが、塾に通ったおかげで一応進学が出来ました。
中学校の普通科の勉強に嫌気がさした九頭は商業科を選択しました。

普通は数学が得意な方が行く傾向にあるようですが、中学3年間の勉強がよほど嫌だったため
「普通科以外の科に行きたい」
と思い、数少ない友達に「一緒に行こう!」と誘われた高校に普通科と商業科があったことが商業科に進んだ理由です。

数学が嫌いだったのに商業科に進学する時点でかなり頭が弱いですね(笑)
しかし、入学時に抱いていた思いはただ一つ
「中学時代は勉強が出来ずに周りに馬鹿にされた。商業科だから資格を取って周りを見返してやる!」
入学前に渡された課題を友人たちの誰よりも早く終わらせ、誰よりも意気込んでいました。

そんな時に出会ったのが高校時代の3年間担任だった先生でした。
夏休みにも自ら専門学校に通って会計の勉強をしている勉強にも教育にも熱心な先生から会計の勉強を学んだ結果、
・今までなぜ自分は勉強が出来なかったのか?
・どう勉強すれば良かったのか?
が分かり、嫌いだった勉強が好きになりました。

高校の3年間で学んだことは
・正しい努力を続ければ、才能がなくとも結果は出るようになる
・苦手のものを得意なものに変えた時、人は絶大な自信を得ることが出来る
といったことでした。
これは今でも九頭が大事に思っていることでもあります。

その結果、高校生には難関とされる日本商工会議所の簿記検定の2級を高校2年生の1学期に合格することが出来ました。

周囲を見返したい一心でやる気があった時期に自分のやる気に応えてくれる最高の恩師に出会えたことは自分にとっては幸運でした。

あの時普通科に進んでいたら間違いなく今の自分はありませんでしたし、
今頃何をしていたのか?ということを考えるとゾッとします(笑)

税理士に俺はなる!専門学校へ進学

高校で会計を通じて勉強が好きになった九頭は、
・もっと会計の勉強が出来るようになりたい!
・将来は会計の知識を使った仕事をしたい
・何より自分を変えてくれた会計の道で生きていきたい
と思うようになりました。

そして、3者面談で担任の先生に
「会計で飯を食っていきたいのなら事務職などを目指さずにスペシャリストを目指せ!そうすれば仕事に困ることはないぞ」
と言われたことをきっかけに本格的に税理士を目指すことに。

そして、先生が紹介してくれた東京にあるスパルタで有名な学校に進学することになりました。

次からは10年間の試験勉強についてお話させていただきます。

合格率2%?税理士を目指した10年間

難関資格の高い壁を次々と突破!

高校卒業後に専門学校に進学した九頭は本格的に税理士試験の勉強に励むように。
税理士試験は年に1回の科目合格式の試験で、累計で5科目合格することで初めて税理士試験合格となります。

早い人だと2年の受験で5科目合格をしますが、そういった方は年に数えるほどで、
10年、20年と年数をかけても合格できていない方が数多くいる試験です。
各科目の合格率は約10%のため、難関の資格と言われています。
ちなみに5科目合格のゴールにたどり着けるのは毎年全受験生の2%程度となっています。

19歳で初めて税理士試験に受験し、簿記論に合格し1科目合格。
20歳の時には財務諸表論に合格し、順調な学生生活を送っていました。

「字が汚いから合格しないんじゃないの?」合格が遠のく・・・

2年間で2科目に合格した九頭でしたが、残り3科目になったところで壁にぶつかります。

2年間で専門学校を卒業した後も受験浪人として専門学校に通いながら、時には勉強に専念。
時にはアルバイトをしながら授業料を稼ぐという生活をしていました。

この、3年間の受験浪人生活の中で1科目も合格できずにいました。
この3年間の間に同期にはどんどん先を行かれ、後から入学してきた後輩たちにも追い抜かれ、高校3年間で手に入れた自信は完全に打ち砕かれたのです。

壁にぶつかった理由の一つに、残り3科目はある程度の書くスピードが要求される科目だったことがあります。
受験生の間では試験時間の2時間のうち、前半50点部分に50分を費やし、後半50点部分に65分、残りの5分はどちらかに配分するというのがある種の決まりごとになっていました。

九頭がどの程度遅かったかというと、普通の受験生が50点部分を1時間かけてもまだ終わらないという遅さ・・・。

更に追い打ちをかけるように専門学校の講師の方々からも
「もっと丁寧に書いてくれないと読めないから採点できないよ」
「去年の不合格の原因は字が汚いからじゃないの?」
と言われ、
最終的には「書いても採点されないのでは」というプレッシャーがのしかかり、前半の50点部分に1時間20分ほど費やすような状態になっていました。

スポーツで言うところのイップスに近いものがあったかもしれません。
ここまで字を書くことが弊害になった受験生は九頭以外には知りません。

「手が動かないんじゃどうしようもないな。自分には不向きな試験だったんだ」
税理士試験合格という目標から目を背けて九頭は都内の税理士事務所に就職をしたのでした。

試験からの卒業!のはずが・・・

税理士事務所に面接一社で合格、ついに社会に

受験浪人生活を終え、九頭は23歳の9月に都内の税理士事務所に就職し、社会人となりました。
大学に行った同級生たちとは1年半遅れの社会人生活の幕開けです。

ちなみに税理士事務所は事業主が税理士(開業税理士)であれば問題は無いので
・社員として働く勤務税理士
・税理士試験を勉強しながら働く社員
がそれぞれ担当の顧問先とのやり取りや申告書の作成業務をします。

大学に行った友人たちが何社も面接を受ける中、一社のみの面接、それも30分足らずの面接で内定を決めることが出来たので、2科目しか合格していなかったとはいえ税理士試験の資格の存在の大きさを思い知らされました。

負け戦ならではの「ある試み」

税理士事務所に就職し、今までの勉強の成果を社会に役立てるときがやってきました。

九頭の就職した事務所は個人の税理士事務所としては大規模な職員数が約30人
税理士法人は職員数がかなり多いようですが、個人の税理士事務所は10人以上いれば大規模と言われています。

ちなみに職員の約8割は男性で、欠員補充という形でしか新入社員が入らないので残念ながら職場恋愛というものとは無縁でした。
一度くらいは経験してみたかったですが(笑)

九頭は就職したときに考えていたことがありました。
「社会人になったら税理士試験の受験は終わり、きっちり仕事だけやればいいだろ」
そう、試験からのドロップアウトです。
税理士事務所の職員の中には合格を目指して昼間は仕事、夜は専門学校で試験勉強をする方も多いのですが、九頭にはその意思がありませんでした。

理由は先ほども挙げたように、自分の書くスピードでは合格しようがないと思っていたからです。
しかし、就職して4カ月経った1月のある日でした。
お世話になった専門学校の講師のA先生から電話がかかってきました。

A先生「税理士試験講座始まったけど、学校来ないの?」
九頭「うーん、今年はちょっと・・・」
A先生「ここまで勉強してきたんだから、きちんと学校に来て勉強しなよ」

この一言で渋々仕事をしながら学校に再び通うようになりましたが、もはや九頭にはやる気がありませんでした。
仕事で疲れた時には学校に行くのをサボり、学校に行ってもやる気がなさそうに講義を聞く。
もはや何のために学校にいるのか、自分でもわからなくなっていました。

あまりのやる気のなさに業を煮やしたA先生からは
「もう少しちゃんとやれよ」
と言われ、それに対して
「は?ちゃんとやってますよ!!」
と開き直る最低な状態でした。

そして、迎えた社会人になってから初めての税理士試験。
九頭の受験生時代の中で最も勉強していない年の受験。
当然ながら合格の見込みは限りなく低い負け戦同然でした。
そこで、九頭はある試みに出たのでした。

合格への布石

社会人1年目の税理士試験。
最も勉強していない状態でしたので合格の見込みはほとんどありません。

そこで九頭は考えたのです。
「そうだ、どうせ受からないんだ。だったら先生の言う採点されない雑な字が本当に採点されないのか試してやるか」
そう考えた九頭は、誰が見ても読みにくい字で答案を埋めていきました。
普段だったら書き直すであろう字でも、元々の書くスピードが人より遅いのでお構いなし。
「どうせ負けるのなら前のめりに負けてやる!」
不合格を覚悟していた九頭には何のためらいもありませんでした。

そして、迎えた合格発表の日。
税理士試験は8月に行われて12月に発表があります。
合格者には合格科目に「ゴウカク」の文字が印字され、不合格者には合格に近い順にA~Dのアルファベットが印字されます。

届いた封筒を開けると予想通り結果は不合格。
これで丸4年間合格科目なしという絶望的な状況に陥りました。
しかし、通知を見て目を疑いました。
散々読みにくい字で書いたにも関わらず、最も合格に近い「A」の文字が印字されていたのです。

「Aってことはあんな読みにくい文字でも採点されたんだ・・・。あんな読みにくい字で、しかも書くのが遅くても合格まであと一歩だったってことは俺でも勝負できるぞ」
「今まで自分を苦しめてくれた税理士試験に引導を渡してやる!」

この瞬間、諦めたくても諦めきれなかった合格への想いに再び火が点きました。
不合格のがっかりした気持ちが合格への強い気持ちにスイッチを切り替えたかのように切り替わったあの時の感覚は今でもよく覚えています。

今度こそ・・・税理士試験に全てを注いだ日々

5年ぶりの科目合格!そして確執

内に秘めた合格への想いに再び火が点いた九頭は再び合格に向けて走り始めました。

学生の頃は正直心のどこかで
「自分では5科目合格なんて難しいだろ」
という気持ちがあったと思います。

しかし、自分でも勝負できると自信が付いてからは迷いや不安なんてものはありませんでした。
このころから仕事で経験したことと試験勉強で学んだことをリンクさせるようになり、学生の頃以上に試験勉強の理解力が上がっていることに気が付き始めます。

また、学生の頃以上に復習に時間を使い、同じ間違いを2回しないことを今まで以上に意識するようになりました。

そのおかげか、試験本番、自分でも不思議なくらい落ち着いていることに気が付きました。
そしてその年の12月、所得税法に合格!
実に5年ぶりの合格で、ようやく3科目合格者になれたのでした。

仕事帰りにお世話になった専門学校の講師の方々に報告に行き、翌年もお世話になる旨を伝えました。
その後、A先生にお礼を告げた時、信じられない言葉を投げかけられました。
「お前、やる気がないから落ちるかと思ったよ」

言葉を失った九頭・・・
正直、ショックを受けました。

試験に合格するために実務で経験したことを試験勉強に活かし、学校がある日は早めに仕事を切り上げ、通勤時間も試験勉強に充てて、何が何でも結果を出すと決めてがむしゃらに生きた1年。
近くで見てくれていたと思ったA先生から「やる気のない奴」という目で見られていたのです。

信用していた先生に裏切られた私は
「来年いっぱいでこの学校を出る」
そう決意し、翌年の消費税法の合格を置き土産に大手の専門学校に移籍することになるのでした。

怪物と出会い、2000人中35番の実力へ成長し、ついに合格

4科目合格者となった九頭は、大手の専門学校で最後の1科目である法人税法を学ぶことに。
「大手の専門学校の受験生たちを倒せる力があれば合格できる!」
と、気持ちを新たにしていました。

そこで出会った法人税法の講師、彼に出会って衝撃を受けました。
「なんだこの人の話、めちゃくちゃレベルが高い!」
「この法律をそんな視点でとらえているのか!」
「なるほど、だから条文にはそのような言い回しで書かれているのか」

ネットでも評判が良かったその講師の話を聞きながら
「そうか、こうやって勉強すればもっと実力が付くぞ」
「トップクラスの実力を持つ受験生ってこうやって勉強してるんだな」
と、大きく勉強方法を変える程の影響を受けました。
まさに、彼は怪物と言える存在だったのです。

その結果、その専門学校で最も難しい問題が出されると言われる試験2カ月前の全国模試
相変わらず書くのが遅いというハンデがあったにも関わらず、九頭は受験者約2,000人の中で35番という好成績を残すことが出来ました。

「ここに来てから力が大きく伸びた、自分のスピードでこの順位なら人並みにスピードがあったらトップ10も狙えたな」

移籍して、怪物との出会いで大きく自信をつけた九頭にとっては税理士試験の合格はもはや難しいものではありませんでした。
法人税法に合格して5科目合格者となり、九頭は晴れて税理士試験合格者となったのです!

初めて受験した年から10年経ってついにゴールへたどり着きました。もくひょう

税理士に俺はなった!!しかし・・・

「税理士のくず」誕生!

税理士試験に合格して、職場のトップの先生方、高校時代の恩師。
様々な方からお祝いの言葉をいただき、食事をご馳走してくれるお客様まで現れました。
今思い返しても本当にありがたいことでした。

そして、税理士事務所の大先生からは
「じゃあ、税理士になれるし登録するか」
と言われました。

税理士は試験に合格しただけではなく、税理士会に登録することで初めて税理士を名乗ることが出来ます。
同時期に合格した上司や後輩と共に九頭は税理士会館へ向かい、合格した翌年の3月税理士としての第一歩を踏みだしたのです。
そう、「税理士のくず」が誕生した瞬間でした!

税理士になってからは劇的に色々なものが変わりました。
上司からは新規のお客さんをどんどん与えられ、
給与明細に記載されているお給料の金額も大きく上がり、今までは「九頭さん」と呼んでいたお客様も「九頭先生」と呼ぶようになり、
気になった女性からも「税理士さんってことは頭いいんだね」と好意的な目で見られ、
中学時代に「行ける高校がない」とまで言われた九頭からしたら正に下克上を達成した気分になれました。

感じた違和感・・・

その一方で九頭はだんだん違和感を感じるように。
税理士になった年の夏、友人と酒の席で会った時のことです。
彼は税理士試験合格の少し前に会った方で職種自体は全く異なる方です。

彼は熱い性格で、独立を夢見て目を輝かせながら日々の仕事に励んでいました。
そんな彼を見て心の中でつぶやきました
「良いな、こんなに仕事に情熱的になれて」
「俺もこんな風になりたいな」

この瞬間、
「俺は今の仕事好きじゃないのか?」
「好きで選んだ仕事なのになんでこんなこと思うんだ」
そんな違和感を持ち始めたのはこの頃でした。

そしてついに人生を大きく左右する出来事が起こるのです。

「担当を九頭から代えてくれ」

友人と飲んだ翌月の9月、新規のお客様の担当になることに。

上司たちと共に打ち合わせ会場に向かい、名刺を交換し、打ち合わせを行いました。
「新しいお客様だ、頑張らないと!」
税理士として任された責任を全うしたい、九頭の心はその気持ちでいっぱいでした。

しかし、打ち合わせの翌日、そのお客様から上司に電話がかかりました。
何故か場所を変えて私のいない場所で電話をする上司。
「もしや・・・」
嫌な予感がしました。

長電話を終えて戻ってきた上司から言われた言葉は
「九頭君、もうあの人には電話しないでくれ」
申し訳なさそうに告げる上司。
「ああ、やっぱりそういうことだったのか・・・」
私は全てを理解しました。
電話の内容は「担当を九頭から代えてくれ」という担当替えのお願いだったのです。

違和感の正体に気づき、「税理士失格の男」に

担当替えの話を告げられた九頭。
正直ショックでしたがそれと同時に
「何がダメなんだ」
という気持ちも込み上げ始めました。

ショックで落ち込んでいた状態で残業をしていた時に私の頭の中にふと
「もう、この仕事辞めちゃおうかな」
という気持ちが出てきました。
それと同時に「あれ?」という気持ちにもなりました。

今まで仕事で何か失敗があって気持ちが落ち込んでも
「辞めようかな」
と思ったことはありませんでした。

なのに、ただ一度の失敗でどうして?
ふと考えた時に答えが出ました。
「そうか、去年までは試験に合格したい一心で実務も取り組んでいた、試験という目標が無くなったから意欲が失せているんだ、つまり俺は今まで試験に受かるためにここまで頑張っていたんんだ」
ということに気が付きました。

それと同時に
「そういえば、この仕事面白いと思ったことあったかな?・・・無いな。」
とも思いました。

「人のお金に関わる仕事だからこんな不誠実ではいけない、じゃあこの仕事は辞めた方が良いのかも」
税理士に登録してわずか半年で九頭は退職を考え始めるようになりました。

この時九頭の頭に中には「俺、税理士失格だな」と思うようになりました。
九頭はこの瞬間に「税理士失格の男」となりました。

迷った今後の生き方

九頭、税理士辞めるってよ!

担当を外された翌日、九頭は上司に呼び出されて改めて担当替えの話を聞かされました。
その時に上司に
「税理士を辞めようと思っています」
と、切り出しました。
「辞めてどうするんだ?」
「せっかく試験に受かったんだからもう少しよく考えてみないか」
その場で引き留められ、辞めてからの今後の見通しが立てられなかったこともあり、結局退職はしないことに。

また、その後他の上司や高校時代の恩師が親身に話を聞いてくれたことも退職を思いとどまった原因の一つです。

しかし、税理士を続けていくことを難しいと感じていた九頭にとってはその後の業務は苦痛に感じ、退職までの約2年の間に風邪による病欠を年に何度もするようになります。
また、半年に一度「なんか気力が出ないな。もしかして鬱ではないよな?」
と、思うようにもなります。

高校時代3年間無遅刻無欠席の皆勤賞だった九頭にとっては危機感を覚える出来事でした。

コミュ障改善を目指してコミュニケーションセミナーに参加

不安な気持ちを払うために九頭はコミュニケーションセミナーを受けることにしました。
税理士を続けるのならお客様と円滑なコミュニケーションを図らなければならない、この前のような失敗はしたくない。
といった気持ちからでした。

セミナーは1回きりの形式で、プロのコーチとしてコーチングで生計を立てている女性が講師のセミナーでした。
セミナー終了後のアンケートで「コーチングセッションを希望しますか?」という項目に〇をし、彼女に抱えている悩みを打ち明けました。

セッション後
「九頭さん、良かったら私のコーチングセミナーに来なよ、自分の道が見えてくるかもよ」
と、言われ私は彼女のコーチングセミナーに参加することになりました。

見えてきた個人としての生き方

九頭はコミュニケーションセミナーで出会ったプロのコーチのコーチングセミナーに参加することにしました。
コーチングを学ぶセミナーですが、セミナーの最中に実際に自分もコーチングを受けて、自分の心の声に耳を傾けることが出来るため、受講者にも好評なセミナーだったからです。

セミナーの最中に将来何をしていたいか?と聞かれて自分の心の中に浮かんだ答えが
「税理士以外の道を見つけ、今の職場から独立して自分だけの力で生きていたい」
ということでした。

コーチの個人としての生き方に刺激を受け
「自分も独立して生きてみたい」
と思うようになっていたのです。
正直、会社員を辞める生き方なんて考えたこともなかったので自分でも驚きました。

アフィリエイトの道へ

アフィリエイトとの出会い

税理士を辞めて自力で稼ぐにはどうすれば良いか?
私はコーチの勧めもあってビジネス関係のメルマガを複数購読して読むようになりました。

世の中には自分が思っていた以上に独立している方が多いことを知りました。
そして、成功している方々は1ヶ月で数百万円の金額を稼いでいることを知りました。

数々の個人ビジネスを見てきた中で九頭はアフィリエイトを選択しました。
アフィリエイトを選択した理由は成功すれば稼げるから、という理由もありましたが、他には
・元手がかからずに始められる
・相手の目線に立って物事を考える癖をつけられるから将来何の仕事をしても役に立つはず
といった理由もありました。

「早く稼いでまずは事務所を退職しよう」
そう思いながら税理士登録をした翌年の7月、副業としてアフィリエイトを開始しました。

アフィリエイトを開始 → 体調を壊す

アフィリエイトを始めて1月。
身体に異変が起こりました。

歩くと身体が重たい、お腹の調子がといった状態が何日も続きました。
病院に行き、現在の状況を説明したところ
「少し休みなさい」
と言われることに。

当時の生活は仕事で8時~9時に自宅に帰り、その後夜中の1時までアフィリエイトの作業をし、翌日5時半に起床する生活でした。
4時間半の睡眠時間や仕事のストレスがダメージになったのでしょう。

翌月の健康診断では再検査で胃の精密検査を受けることになり、人生で初めて胃カメラを飲むことに。
幸い大したことは無かったのですが、確実に体に負担がかかっていることを感じました。

早く、アフィリエイトで実績を残して退職しよう。
そんな気持ちがより一層強くなりました。

出社して10秒でいきなり書類を投げつけられ、退職を決意

7月にアフィリエイトを始めて約半年。
あまり目立った成果を挙げることも出来ないまま年が明けてしまいました。
そして、私に急きょ退職を決意させる出来事が起こります。

あれは1月の寒い日の出来事でした。
地下鉄の駅から外に出て、冬の冷たい風から逃れるように足早に職場のあるビルまで行きました。

そこでエレベーターの前に立つ同じ部署のB先輩。
私はいつものように
「おはようございます」
と後ろから声をかけましたが、B先輩は私の方を見て、何も言わずに前を向きました。

「無視?」と思いながらも普段から人に対してありがとうも言わない不愛想な先輩だったので気にせず事務所に向かいました。

そして、事務所に着いて席に着くなり突然B先輩が
「これ、今日中にやっとけ。早くやって」
書類の入ったクリアファイルを私の机に投げて言い放つ先輩、それに対して
「いや、今日はこれから1日お客さんのところに行くんですが、スケジュール表に書いてあると思いますが」
と反論する私、しかしお構いなしに
「じゃあ、帰って来てからやれよ」
しかし、渡された仕事はどう考えてもその日中に終わらない仕事量でした。

予定を早く切り上げてB先輩から渡された仕事に取り組み、だんだん終電時間が近づくも仕事は終わる気配は見えず、終始不機嫌そうな態度を取る先輩を見て私は
「こっちの仕事の都合も考えずに、なんて横暴な態度を取るんだ・・・」
「この先もずっとこんな人の後輩として仕事なんかしたくない」
そう考えた私はこの出来事をきっかけに退職を決意することにしたのでした。

しかし、一時の感情で行動を起こしては後悔することは目に見えています。
なので、一度落ち着いて、「もし辞めるのならばいつがいいか?」を考えてみました。
すると、自分の心が軽くなっていくことに気が付きました。
「辞める時期を考えた瞬間に心が軽くなるなんて、これが自分の本心なんだな。俺はこの仕事を辞めたくて仕方がないんだな」
自分の心の声を再認識した瞬間でした。

翌週私は上司に話し合いの時間をいただき、9月いっぱいでの退職の旨を伝えました。
伝える直前までは
「この安定・地位を手放すことになる。本当に良いんだな、言ったらもう戻れないぞ」
何度も自分に問いかけましたし、何度も迷いましたが一歩踏み出すために上司に伝えました。

話し合いの直後、心が晴れ晴れとした気分になりました。
「もっと早く言えばよかったな」
そんな気持ちさえ芽生えました。

退職後の進路・税理士を続けなかった理由は?

税理士事務所を辞めることを決意した九頭は
有資格者なので、開業税理士として独立・他の税理士事務所への移籍が本来取るべき使命だとは思うのですが、以下の弊害がありました。

課題1:人間関係の構築が下手だった

客商売なのになんて絶望的な課題でしょうか・・・。
中学時代から友達が少なかったことからも明らかですが。

九頭は税理士事務所の10年間の間に3回
「担当を九頭ではなく他の人に替えてくれ」
と言われています。
先ほどの税理士を辞めることを意識したのが3回目で、税理士になる前にも2度経験しています。

ちなみに九頭が勤務していた10年間の間に九頭以外で担当替えをお客様に言われた人は1人しか知りませんので、これがいかに絶望的な事実か分かると思います。

また、職場内も仲の良い方はごく一部で、多くの方とは一緒にお昼を食べてもほとんど会話のない状態という、お互いに壁を感じた状態で10年間過ごしていました。
これも今考えても絶望的な状態ですね・・・。

その一方で
「一緒に昼飯食いたいからお昼ごろにうちの会社に来てよ」
「こんな話、社長に話しても無駄だから九頭さんにしか話さないんだけどさ」
といった感じで親密に接してくださるお客様や、仕事帰りや飲みの席で恋愛話などを気さくに出来た同僚もわずかですがいました。

このことからも狭く深い交友関係なのでしょう。
私のコミュニケーション能力では多くの方と関わるこの仕事は正直困難と感じました。

課題2:性格上、この仕事が無理だと思った

これまでの話で散々述べていますが、九頭は性格的に税理士事務所での仕事が好きではありませんでした。
また、税理士事務所での業務も試験に合格するためのものだったため、好きでもない仕事を独立してまでもやるつもりはありませんでした。

その結果、私が快適に働くためには
・人間関係に困らない
・やりがいのある仕事
ということが条件になりましたがそんな都合の良い職場が簡単に見つかるとは思えませんでした。

ふるさと納税のアフィリエイトを始める

税理士事務所退職後の九頭は、当面は貯金を切り崩しながら副業で続けていたアフィリエイトを頑張ることを決意します。アフィリエイトなら一人で出来るので人間関係に困ることはないからです。

そんな時に、ふるさと納税のアフィリエイトの話が舞い込みます。
「年末になればふるさと納税の申し込みは急激に多くなる」
それに備えてふるさと納税のサイトを作ればもうかる。

受講したアフィリエイトのセミナーでそのような話を聞き、九頭はふるさと納税のサイト作成を始めました。
税理士時代の経験を活かしてふるさと納税を知らない人にもわかりやすく、他のアフィリエイターには答えられないような難しい疑問にも答えてくれる世の中の役に立つサイトを作る。

このコンセプトのもと、自分が元税理士であることを明かしたうえでふるさと納税の事を説明するサイトを作りました。

サイトを作って、世間がふるさと納税で知りたがっているニーズを調べて、それに応えるコンテンツをサイト内に用意して、ということをコツコツ続けていくうちに私のサイトに数多くのアクセスが来るようになり、多い時は1ヶ月で1万以上のアクセスが来るようになりました。

また、その後は自分の趣味であるマラソンの役に立つ練習方法なども趣味のブログで掲載し、お礼のコメントや質問のコメントなどもいただけるようになり、自分の持っている知識・ノウハウを人に役立ててもらえることの嬉しさを知るようになりました。

そこから
「自分の持っている税金の知識、税理士の選び方などを提供して誰かに喜んでもらえたら自分も嬉しいし、これも有資格者としての使命の果たし方ではないかな?」
と考えるようになりました

税理士から税務アフィリエイターに

ふるさと納税のアフィリエイトなどをきっかけに九頭は税務アフィリエイターとして税金関係の情報を発信するアフィリエイターになることを決意しました。

税務アフィリエイターのメリットとしては
・一人で仕事できるので職場の人間関係を気にせず働ける
・自分の情報を気に入った方だけが読者になるので、お客様との人間関係も気にならない
・今まで苦痛だった税金関係の仕事にやりがいを感じられる
・時間・発信内容などを自分の好きに出来る
といったことがあります。
九頭の性格上、こちらの方が性に合っていると言えます。

そのため、当サイトでは元・税理士の九頭(くず)が税金に関する情報を発信していこうと思います。

現在は税理士登録をしていませんので具体的な税金計算・税務申告等は法律上出来ませんが、おすすめの税理士の選び方・確定申告に必要なもの等のアドバイスは出来ますので何かあればコメントいただければと思います。

法律上、私はお金を取れませんのでご安心ください。